生存範囲どない?
みんな、おまたー!あたしです。
なんかさ~、ずっと思ってることがあるんだけど。あたし、マジでインスタに向いてない。
写真撮るのもまあすごい好きってわけでもないけど別に嫌いでもないし。写真の加工技術においては一定の自負もある。(そうですか)
洋服やコスメ、映えるカフェと食べ物にも人並みには興味があるし、好きな芸能人やアイドルの投稿だって見に行く。キモオタクではあるんだけど、オタクだからって別にインスタが合わないことも無いと思うんだよね。
昨今のオタクって案外普通の子が多いというか、特に若い世代で昔ながらのチェックシャツイン系オタクはほぼいないんじゃないか?そりゃもちろん一定数は古風オタクもいるだろうけどさ、相対的な数で言えば、今のオタクは昔よりもっと「普通」になってる。
誰かと誰かを比べて、こっちが「普通」でこっちが「普通じゃない」とかそういう区別つけたくないし、間違ってると思うよ。でもさ、あたし自身が「オタク」だからこそ、〝オタクってこうだよね〟っていう、非オタの世間一般から見たイメージ?「ザ・オタク像」みたいなのもわかるわけ。
最近のオタクは昔よりもメジャーなカルチャーに昇華されてるから、二次元に限らずジャニオタとか韓国オタクみたいに、何かしら「推し」がいる人間がめちゃくちゃ多いし、二次オタも三次オタも限らず特に女の子はみんな可愛いのよ。
痛バとか持ってなかったらオタクってわかんないくらい綺麗なお姉さまもいれば、俗に言う「量産型」の可愛い女の子たちも多いし、逆に「オタク」という属性を付与した自分が好き!みたいな、ライトめファッション系オタクもだいぶ増えたと思う。つまり、一昔前の「オタク」のイメージと、今の「オタク」の雰囲気は全然違うってことが言いたい。
でね、もはや「大推ししか勝たん時代」の今ではさ、オタクすること自体が楽しいしハッピ~だしライフワークだしって感じで、「特殊な趣味」って枠ではないじゃん?むしろ全人類何かしらのオタクである説すらあると思う。
その中でさ、全然「普通」のカルチャーであるオタクが、「普通」であるはずなのになぜか「棲み分け」をするっていう謎の慣習があるのがよく考えたら不思議じゃない?あたしが思うに、
その顕著な「棲み分け」が「インスタ」と「Twitter」なのね。
どっちも日常を共有するSNSであって、インスタは画像オンリーの投稿しかできないとかでもなくインスタでもストーリー機能で文字だけ投稿することもできるじゃん?Twitterでもさ、一時期実装されて一瞬で消えた「フリート」があったじゃん?最初こそ「インスタの真似すんな!」って荒れたけど、居なくなってからみんな恋しくなって「フリート戻して」って言ってたじゃん?だから、「オタクだからインスタみたいな機能が合わない」とかってことも無いわけじゃん?なのに、なぜか「オタクはTwitterをメインで使ってインスタを使わない」っていう事象が起こってるじゃん???
よく考えたら謎じゃない?いや、もちろんインスタとTwitter両刀使いのオタクもいるし、むしろジャニオタ系はインスタでオタクしてます~って子が多いイメージある。※ごめん、あたしが完全二次オタだから生態を完璧には理解できてないと思うんだけど、実際あたしの周りのインスタ使いはジャニオタ系が多い。
し、実際自ジャンル付近のフォロワーたちは、あたしと同じようにインスタよりTwitterを使う派orインスタ自体全く使ってない派が多いのよ。
でさぁ、あたしもインスタのアプリは入ってるし、芸能人の投稿見たりちょっと調べものしたりとかは全然するんだけどさ、
投稿が全くできないのよね。
そもそも人とあんまり繋がってない。
プロフィールの下のちっちゃい丸の中に何を入れたらいいのかもわからん。ていうかそもそもインスタで何をどう生きればいいのかがわからん。
「Twitterがあれば事足りるからインスタが不要」っていう感覚も一理あると思う。ていうかそれがほぼ全てだと思う。でも、別に絶対インスタがダメだっていうわけでもないと思うわけ。
なのに、頑なにインスタが肌に合わないと感じるのは一体なぜなんだろう?
オタクは語りたい生き物
結構真面目にあたしがインスタに向いてないと思う理由を考えた時、まず最初にこれだった。
オタクは語りたいんよ。(ノブの声で)
語りたいんよ。画像よりも先に「死ぬ」とか「待って」とか「無理」が出るんよ。1回己の容態がやばいことを連投した後で140字ギチギチのコーナーで差をつける長文推し萌え優勝ポイント語りとかしたいんよ。
それをインスタでやってもいいけど、ストーリーとか1人だけ超細切れになる。投稿でやろうとしてもなんかそれは違う。あくまで写真メインで気持ちは添えるだけみたいな構造がオタクの肌には合わないんだろうなって思う。インスタはとにかくパッションで語りづらい。(そもそも語るためのコンテンツではない)
独自の空気感の醸成困る
非オタの前で何話していいかわからないなら、Twitterみたいに垢分けして使えばいいじゃん🎶
➡それはしない。(#なぜ?)
そう。語りにくいなら別にオタクだけで繋がるインスタアカウントを持ってても良いわけなのに、それはしないっていうのはなぜなのか?
もちろん、あたしの周りのTwitterにちゃんと生息しているオタクたちの中で、インスタでもオタ垢持ってるちゃんとしたオタクたちっていうのは結構多い。普通のリア垢はあんまり投稿してないけど、オタ垢は現場行った時の写真とか祭壇作った時の写真とか結構載せてるよ~!っていうタイプ。この時点であたしの仮説は崩れてるんだけど、まあそれは置いておいて、あくまでもあたし個人の主観で日々思っていることという意味で今回したためているんだけどね、あたしはTwitterとは違ってインスタでは垢分けしてまでオタク投稿しようというやる気がなぜか湧かないのよ。めっちゃ系統揃えてオタ活の様子載せてる量産型オタクたちの可愛い投稿見て憧れるし、可愛いな~いいな~っていう気持ちは湧くんだけど、めんどくさいの気持ちの方が勝ってしまう。
なんか、空気感困らん??インスタワールドって、なんか知らんけどみんな写真のトンマナ気にしてて、どうでもいい写真は投稿しない感じじゃん??その洗練された空気感についていかなきゃいけないみたいなアレに非常に困ってしまう。「おしゃれな投稿しなきゃいけない!」という薄い強迫観念に勝手に縛られてしまう。
その点、あたしのTwitterのメディア欄を見ろ。
スクショと監督GIFしかない。
※監督・・・Twitterでおなじみのあたしが愛してやまないサッカー元メキシコ監督のミゲル・エレーラ氏(☟)
連投しにくい構造
1個1個キメていく雰囲気が合わない。
これに尽きる。マジで。
上でも書いたが、結局その1個1個キメていく雰囲気とオタクのパッション消化が合わない。一瞬一瞬の「沸き」が綺麗に収まるわけがない。
24時間で自動的に削除されるストーリー上では比較的どうでもいい掃き溜めも投稿しやすい。だけどTwitterの連投とはやはり体感が違うンゴよ・・・。なんかTwitterの長文投稿よりインスタの長文投稿の方が見る側の消費カロリーも激しくない?(そんなことない?)
もちろん、オタクも1個1個キメたい瞬間だってある。現場レポとか、生誕祭とか、おしゃヌン行って撮影会した時とかさ。でもそれよりも、写真とかどうでもよくて、まず第一に今この胸の輝きをぐちゃぐちゃな言葉に丸め込んでぶん投げたい瞬間の方がはるかに多いってだけの話。どちらも機能としては使えるけども、「文字特化なのか」、「写真特化なのか」で使用感とターゲット層ってこんなに違ってくるんだなあ~って思った。
だから、別にオタクの生存範囲がTwitterに追いやられてるっていうわけではなくて、単純にTwitterくんが好きなだけだった。
人には人のSNS
俗に言う「リア垢」をたまに覗きに行くのだけど、学生時代はあんなにTLに人がいたのに、今ではほんの数人しか呟いていない。みんな気付いたらインスタをメインの生息地にして移住している。そしてたまに学生時代の友人たちと飲みに行くと、自分が周囲の近況などを把握してなさ過ぎてびっくりする。
でもそれでいいんだよな。会って話そうと思う友達とだけ会って、自分のこと話し合って、SNSの繋がりがなくても。それでいいのだ。
…これで卒論書けば良かったわ。
※Twitterくん&フォロワ~たち~!!愛してるよ~~!!
純日記という名のただの思考の掃き溜め。
それではまた。あたしでした。